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<<   作成日時 : 2008/07/21 01:40   >>

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「太陽がいっぱい」

1960年公開(フランス、イタリア合作)

監督=ルネ・クレマン
脚本=ルネ・クレマン
音楽=ニーノ・ロータ
原作=パトリシア・ハイスミス(原題「才人トム・リプリー」)

出演=アラン・ドロン(トム・リプリー)、モーリス・ロネ(フィリップ・グリーンリーフ)、マリー・ラフォレ(マルジュ)


昨日(20日)の昼間、テレビ東京で「太陽がいっぱい」が放送されていた。
民放の地上波で、この映画が放送されるのはかなり久しぶりの事ではないだろうか。
(今回は、新たに製作された日本語吹き替え版で放送されていた)。
そこで、今回はそれを記念して(?)、私も大好きなこの「太陽がいっぱい」について語ってみたい。

「太陽がいっぱい」は、この映画に主演したアラン・ドロン(当時25歳)を一躍世界的な大スターへと押し上げた作品として知られている。
アラン・ドロンがこの映画で演じたのは、(端的に言ってしまえば)殺人犯の役である。
しかも、ギラギラとした野心に燃えた、凄みのある青年の役であり、まさに天がドロンのために与えた天性のハマリ役と言っても良い。
なお、この当時のアラン・ドロンは、まさに世紀の美男子という形容が大袈裟でないほど、物凄い美貌の持ち主であったが、美形ながらも、どこか陰が有るというか、何か育ちの悪さを感じさせる(実際に、彼は貧乏な家の子供だったそうだ)ところが有り、この役にピッタリであったと思う。

ドロンが演じるトム・リプリーは、下層社会に生きる貧乏な青年であるが、ひょんな事から大金持ちの御曹司であるフィリップ(モーリス・ロネ)と知り合い、友人となる。
フィリップは、まさに金持ちのドラ息子の典型で、自らは全く働こうとせずに、親の金を湯水の如く使って世界中で遊び回り、放蕩の限りを尽くしている。
トムは、フィリップの両親から、そんな彼をサンフランシスコに有る実家に連れ戻してくれるように依頼を受け(その報酬は5000ドル)、今はイタリアで遊び回っているフィリップを追いかけてくるのだが、フィリップは全く帰ろうとはせず、トムの事も鼻にも引っ掛けずに追い返そうとする。

5000ドルの報酬がかかっているトムも、必死でフィリップを連れ戻そうとするが、フィリップはトムの説得にも全く耳を貸さず、却ってそれまで以上の豪遊を続ける始末。
トムは、フィリップに小判ザメのようにまとわりつくが、フィリップもそんなトムの弱い立場につけこみ、雑用係のように便利にこき使うのだった。
(中には、トムに手紙の代筆までさせる場面が有るが、これが後の場面の伏線となる)

フィリップには、マルジュ(マリー・ラフォレ)という恋人が居るのだが、フィリップはトムに自らの金持ちぶりを存分に見せつけるだけでは飽き足らずに、自らの船にマルジュだけでなくトムをも乗せ、船の中でマルジュといちゃつく様子をトムにもわざと見せつけ、精神的に痛ぶるのであった。
ここらで、フィリップとトムの関係の異常性に観客も気付くのであるが、そもそもフィリップとトムは本当に友人なのか?という疑問が当然湧いてくるところである。
しかし、この映画の冒頭で、フィリップとトムが実に仲が良さそうに遊んでいる場面も有ったりするわけで、その辺りが、この二人の関係の微妙さを表していて、非常に興味深い。

(余談だが、トムとフィリップの関係性について、映画評論家の淀川長治が非常に面白い考察をしている。ここでは敢えて書かないが、興味が有る方は淀川の著作などで何度も触れられているので、是非紐解いてみて頂きたい)。

そんなフィリップの仕打ちにひたすら耐えていたトムの中で、フィリップへの憎悪が増幅されて行った。
トムは、一計を巡らし、フィリップとマルジュが喧嘩をするように仕向け、フィリップにマルジュを途中の港で降ろさせてしまう。
こうして、船上でフィリップと二人きりになったトムは、フィリップに対し
「ここで僕が君を殺し、君になりすまして財産を奪ってみせる」
と不敵に言い放つ。勿論、冗談としか思っていないフィリップ。
しかし、遂にその隙をついて、トムはフィリップを殺害してしまうのであった。

フィリップの死体を皮袋に包み、海に投げ捨てたトムは、港に帰った後、フィリップが生きているように見せかける様々な工作を行う。
そして、フィリップのサインを偽造して船を売却し、更には銀行からフィリップの莫大な預金を引き出したりする。
このトムが、サインの偽造の練習をする場面が非常に面白い。映写機を買い込んで、フィリップのサインの筆跡を壁に大写しにして、それを見ながら何度も練習を繰り返して、遂にはフィリップに瓜二つなサインを書く事が出来るようになるわけである(この場面が実にまた絵になっている。ドロンの面目躍如といったところだ)。

ここから先が、トムが完全犯罪を成し遂げるために、様々なアクシデントに遭いながらも、それを切り抜けて行くハラハラドキドキのサスペンスの連続になって行くのだが、我々観客は犯罪者である筈のトムに思わず感情移入してしまい、「どうにか逃げ切ってくれ!」と、ついつい応援(?)してしまいたくなってしまったりする。
その後、失踪した(事になっている)フィリップを思い、ふさぎ込んでいるマルジュに近づき、トムはとうとうマルジュまで手に入れようとする。
果たして、トムの完全犯罪は成功するのか、そしてマルジュとの関係や如何に・・・


というわけで、この映画が真に面白いのはこの後半部分であると思うので、ここでは敢えてネタバレは避けたいと思う。
この映画で大ブレイクしたアラン・ドロンは、その後長らく、日本における人気外国俳優のトップの座を守り続けていたが(本国のフランスでは、ドロンよりもジャン・ポール・ベルモンドの方が人気が有ったというのが面白い)、その俳優人生で、遂にこの映画を越える名作には出会えなかった(と、私は思う)。
ともかく、ドロンにとっても、フランス映画にとっても、この作品が一つの金字塔であった事は間違い無い。
付け加えるなら、後年「ゴッド・ファーザー」の音楽を手がけたニーノ・ロータ作曲による、哀愁を帯びた音楽も非常に素晴らしいので、そちらもこの映画の魅力の一つである。

この夏、日本でも「太陽がいっぱい」のスペシャルエディションDVDが出るとの事。
興味が有る方は是非とも見て頂きたい。

※なお、この映画は後年「リプリー」というタイトルで、ハリウッドでリメイクされている。
「太陽がいっぱい」とは全く違う切り口の映画なので、比べて見てみるのも面白いと思う。
そちらも是非ご覧あれ。

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