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help リーダーに追加 RSS 十二人の怒れる男

<<   作成日時 : 2008/07/18 02:07   >>

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「十二人の怒れる男」

1957年公開
製作=ヘンリー・フォンダ、レジナルド・ローズ
監督=シドニー・ルメット
脚本=レジナルド・ローズ

出演=ヘンリー・フォンダ(8番陪審員)、リー・J・コッブ(3番陪審員)、エド・ベグリー(10番陪審員)、E・G・マーシャル(4番陪審員)、ジャック・ウォーデン(7番陪審員) 他


今回は、「十二人の怒れる男」という、法廷映画の傑作について語ってみたいと思う。
まずは、この映画の大まかなストーリーについて。

17歳の少年が、父親殺しの容疑で逮捕、起訴された。
その事件の裁判も淡々と進み、後は12人の陪審員による評決を待つばかりとなる。
裁判の内容から見ても、この少年の有罪はほぼ間違い無いものと思われた。
いざ評決の段階になり、陪審員達の意見は有罪で一致した・・・かに思われたが、たった一人だけ、少年の有罪に敢然と疑問を投げかけた陪審員が居た。
それが、8番陪審員(ヘンリー・フォンダ)である。
彼は、「この少年を有罪としてしまうのには疑問が有る。その疑問が解決されない限り、私はこの少年を有罪と断ずる事は出来ない」と言うのだ。
そして、彼のその発言を機に、陪審員達は激しい議論を戦わせ、事態は思わぬ方向へと向かって行く・・・。

というものだが、この映画は基本的には一つの部屋の中で、一つの事件を巡って12人の陪審員達が延々と議論を繰り返して行くという、ただそれだけのものなのだが、それがまた頗る面白いのである。
映画というものは、優れた脚本と演出が有れば、大掛かりな舞台装置など無くてもここまで面白くなるのだという、一つの好例ともいえる。

まず、陪審員制度というのは、多数決ではなく、全員一致でなければ評決を下す事が出来ないというのがミソ。
そのために、当初は12人の中でたった一人だけ、有罪判決に疑問を投げかけた男(8番陪審員=ヘンリー・フォンダ)が居たために、陪審員達は渋々と議論に応じて行く事になるのだが、最初の内は皆あからさまに嫌な顔をするわけである。
「こいつさえ反対しなければ(有罪に賛成していれば)、さっさと帰れたのに・・・」
という態度が見え見えで、中には「野球を見に行きたいんだから、とっとと終わらせて早く帰ろうぜ」などと言って、最初から全くやる気の無い男も居たりする。

そんな中、8番陪審員だけは、少年の有罪の根拠がいかに曖昧で、偏ったものであるかを根気良く主張し続け、次第に無罪を示唆するような証拠が次々と浮かび上がってくるに及んで、最初はその意見に全く耳を貸そうとしなかった陪審員達の考えも、少しずつ変わって行く事になる。
8番以外の11人の内の一人がその意見に賛同したのを機に、一人また一人と、有罪から無罪へと主張を変えて行き、そして・・・(ネタバレになってしまうので、以下略)

この映画は、陪審員一人一人のキャラが非常に立っていて、常に冷静沈着な8番、終始8番に感情的に食ってかかる3番、遊び人風で、早く帰って野球を見に行きたいとばかり言っている7番、有罪派の中では常に冷静で、8番に引けを取らない議論を展開する4番・・・など、皆それぞれに個性的で、人物の描き分けが物凄く上手い。
12人それぞれに味が有るので、見ていて飽きない。
そんな彼ら(皆いい歳したオッサンばかりだが)が、口角泡を飛ばして白熱の議論を展開して行く、その緊迫感たるや凄いものが有る。

とにかく、様々な見所や魅力が満載のこの映画、法廷物が苦手という方も是非見て頂きたいと思う。
一度見始めたらもうやめられない事、請け合いである。

ところで、日本でも間もなく裁判員制度が始まるが、日本人って議論とか苦手だし、人の意見に流されやすいからなあ、裁判員制度なんてやって大丈夫なのかなあ・・・と、ついつい心配したくなってしまうような映画でもある。
裁判員制度が始まる時は、是非ともこの映画を教材にしてもらいたいものである。

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
つ「12人の優しい日本人」
なー
2008/07/20 00:34
>なーさん
三谷幸喜脚本の「12人の優しい日本人」は、この「十二人の怒れる男」へのオマージュといいますか、これを下敷きにして書かれたものと思われますが、
「12人の優しい日本人」も非常に面白いですよね。
三谷版の「12人〜」だけを見ても凄く面白いんですが、この1957年版の「十二人〜」を見た上で三谷の方を見ると、更に面白さが増すという仕掛けになっています(随所に、1957年版のパロディ的な仕掛けがなされているのです)。
「王様のレストラン」や「古畑任三郎」で大ブレイクする前の作品ですが、既に三谷らしさが存分に表されていると思います。
(私は、三谷作品の面白さの一つに、その人間観察の鋭さが有ると思いますが、それが顕著に現れた作品の一つだと思います)。
管理人
2008/07/20 23:56
あぁ、そういうこと言いたくて出したんじゃ無いんだけど・・・

ところで質問。

>是非ともこの映画を教材にしてもらいたいものである。

何のための教材ですか?
参考にするにしても、アメリカ人の気質と日本人の気質って全然違うから、何をどう教材にしては?と言っているのかが、よく分からんのですけど。
なー
2008/07/21 22:23
「十二人の怒れる男」は、(私なりの解釈ですが)一人の能弁で頭の切れる人物が居ると、全体の意見も簡単にそっちに引っ張られてしまう事も有るという、ディベートの怖さというものを描いていると思うのです。
ましてや、陪審員というのは法律に関しては全くの素人という人達が無作為に選ばれ、その人達が被告人に判決を下すわけですから、考えようによっては非常に恐ろしい制度であるともいえます。

例えば、被告人である凶悪犯に有能な弁護士が付いた事により、陪審員の心証は被告人に傾き、被告人有利の判決が出た・・・なんて例はいくらでも有るわけですね。
法律の専門家が裁きを下すのではない以上、どこかしらにそういう危うさが有るのは致し方のない事だと思うのです。

法律の素人が集まって議論して、なおかつ客観的かつ合理的な判断に基づいて判決を下すというのは非常に難しい、という事を学ぶためには、良い教材になるのではないかと思ったわけです。
勿論、なーさんの仰る通り、日本人とアメリカ人の気質の違いも有りますから、100%そのままこれが教材になる、という事は言えませんが・・・
管理人
2008/07/21 23:21
補足。

日本の裁判員とアメリカの陪審員の共通点として、全く見ず知らずの人達が一つの場所に集められ、その事件について議論をし、最終的な判断を下す・・・という点が挙げられますが、勿論、アメリカ人と日本人の持って生まれた気質の違いも有りますから、その議論の中身は全く違うものになるだろうなあというのは、(裁判員制度がまだ始まっていないという2008年現在においても)容易に想像がつくところですよね。

恐らくアメリカ人なら「十二人の怒れる男」みたいな活発な議論になり、日本人なら「12人の優しい日本人」のようなグダグダな議論に終始してしまうのではないかと予想されますが、
ここで言いたいのは、素人が集まって議論をすると、とんでもない結論が導き出される可能性も有るという事なのです。

もし、運悪く自分が刑事事件の被告人になってしまい、そんな人達に裁かれたらと思うと、ちょっと怖い気もしますね(そうならない事を祈ってますが)。
管理人
2008/07/21 23:36

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